「うまいもん認定店マーク」
「うまいもん認定店マークは、一般社団法人 全国うまいもん協議会」
による、衛生面、安全性の厳しい審査をクリアしたお店だけに与えられる
マークとして認証いただきました。
プロフィール
私は、千葉県鴨川市でイタリアンレストランを営んでいる高梨陽市と申します。
正直言って、あまり人には話したくないことですが、
あなたと信頼関係を築きたいので、私のすべてを、お話します。
私は400年ほど前から続く農家の9代目として
千葉県鴨川に生まれました。
働き者で負けず嫌いだった祖父や、父のおかげで、われわれ家族は
何不自由なく生活していました。
高校生の時には、サッカーに明け暮れ、大学へ進学し憧れの国立での、
天皇杯出場を夢見ていました。
ちょうど大学進学について先生と相談していた時です。
父の具合が急に悪くなってしまいました。
悩んだ結果、大学へは行かず、就職することになりました。
当時の国鉄へ進路が変わりました。
入社後には信じられないことが待っていました。
配属先は、貨物列車の操車場でした。
そこでは、貨車を24時間、日本全国へ分類仕分けする作業が待っていました。
今の、最先端の時代では、信じられませんが、34年前にあった本当のことでした。
操車場には、30本もの線路が、野球場が4つ以上も入る広さにしかれています。
長い貨車を、少しずつ行き先別に切り離し、貨車は無人で、時速20キロから
30キロの速さで線路を走ります、
その貨車に飛び乗りブレーキをかけ、スピードを殺しそして飛び降り
また、他の貨車に飛び乗り、ブレーキをかけ飛び降り、そしてまた次へ。
雨の日も、雪の日も、朝4時から、夜中12時過ぎまで、過酷な労働作業でした。
こんなところにいたら、いつか死んでしまうかも。と本当に思っていました。
突然、悲しいことがおこりました。
同僚が、雪の降る日、足を滑らせて、貨車に轢かれてしまいました。
その後には、他の操車場でも、死亡事故も多発していたのです。
別の職場に着くために、必死で勉強し、試験を受け車掌科へ配属されました。
そして千葉県中の電車を乗務しました。
しかし、突然、国鉄の民営化が決まり、人員整理が始まりました。
辞めるか、関連企業へ転職か、2つに一つの選択をすることになりました。
私には夢がありました。アメリカロサンゼルスの海の前で
レストランを開きたいという夢でした。
その夢をかなえるために、退職を決断し、一人で、
ロサンゼルスへ向かいました。
しかし、アメリカでの生活は容易ではありませんでした。
言葉の壁、生活環境の違い、人種差別、仕事も簡単には見つからず。
しかし生活している間には、何とか頑張り、色々な体験や、
経験をすることが出来ました。
結局、日本に戻り、海外で経験してきたレストランを始めたのが、
実はこの仕事に就いた本当の理由です。
しかし、レストランを始めたものの、
私は一人前の料理人ではありませんでした。
ですから、料理を作る人に、働いてもらうしかありませんでした。
カリフォルニアで過ごしていたような、
夢のレストランのスタイルとして、
ビリヤードもありバーコーナーもあり、
ダイニングレストランもあり
テラス席もある、エンターテイメントレストランとしてスタートしたのです。
仕事を続けていくうちにたくさんのお客様とお話をする機会を頂きました。
私が一番驚いたことは、信じられないほど多くの人が
アレルギーを持っているということでした。
卵、そば粉、牛乳、玉ねぎ、セロリ、ピーマン、など
数え切れないほどの、食材に悩まされている
お客さんがいる事を知りました。
「こういうお客様だからこうして料理を作りましょう」と
調理場へお願いしても
そんな面倒な物作れない。
料理にならない。と理由を言われ
お客様の希望する食事を、提供する事が出来ずにいました。
当然のことながら、キッチンでは毎日言い争いっぱなしです。
自分の思うとおりに行かないので、
私も大きな声を出すときが多くなりました。
そんな私に、衝撃的なことが起きました。
それは、突然、次の朝、誰も出社してこないのです。
さて、誰も来ないのなら、自分が作るしかない。
しかし、急に料理を一人で作って、運んでサービスをする事は、
到底出来ることではありません。
そこで、一人で出来る方法を考えました。
ブッフェスタイルの料理でのサービスでした。
しかし、そう簡単なことではありませんでした。
毎朝7時まえにはキッチンで支度を初め、
11時半にはホールで接客のサービス。
2時半からは片付けそして夜の仕込み。
こんな繰り返しをしている私にある出来事がありました。
それは、お客様からのある一言でした。
店長さん、いろいろ気を使って、メニューを作っていただいていて
今まで食べれない物が多かったのに、
今では色々な物が食べれて
本当にありがとう。
と感謝のお言葉をかけていただいたのです。
私はそのとき、料理の仕事は地味で、
支度から片づけまで準備に時間がかかり、
人には見えないところの仕事が3倍もあり、
派手に見えるが、実は地味で、きつく、長い時間働く仕事だけど、
人々の為になり、人々の喜んでもらえる、
誇りの持てる仕事だと感じました。
今まで、表向きの流行や、遊びばかり気にしていて、
中途半端に取り組んでいた自分が恥ずかしくてたまりませんでした。
それから私は、レストランの仕事に腹をすえて、取り組みました。
まず、私自身の中で一番変わったのは、
料理の仕事を真剣に考えるようになったことです。
プロの仕事をしたい。
プロの技術を身に付けたい、と思うようになっていったのです。
ですから、習得の為に、往復230キロもある、東京の一流レストランに
勉強に行ったり、
最新のレストランショーに、毎回出かけ様々な、食材を買い付け、
テストしたりもしてきました。
さらに、夜は夜で、バーへ通い、お酒の種類を学び、
カクテルなどの研究も、していきました。
もちろんの事ながら、調理師免許の取得の勉強もしました。
レストラン管理者としての、防火管理者の資格も取得しました。
プロの職人になる為に、私がしたことはそれだけではありません。
料理を扱うプロとしては、技術の向上もさることながら、
お客様のお気持ちも、様々な分野で、
理解できなければならないと考えるようになりました。
さらに、フランス料理についても、料理の文化や歴史についても、
深く掘り下げるようになっていき
料理に関する書籍や、料理辞典を含め、250冊以上も読破しました。
もちろん、一流といわれるレストラン・
トウールダルジャン・エノテカピンキオーリ、
タイユバインロブション・トロワグロ・シェイノ・ などの、
お店の料理を、ひたすら食べ歩きました。
そして、イタリア料理の歴史、メディチ家のメニューから、
食材、チーズ、ワイン、パスタ、トマト、野菜、
についても、深く研究するようになりました。
その中で一番私が学んだことがありました。
イタリア、のブラという町から産声の上がった、
「スローフードという言葉」でした。
この言葉と出会い、私の料理の基礎が明確になったのです。
その土地にある生活は、その土地から育まれる、
自然からの恩恵であり
その食生活から、生きる文化が生まれ、そこに歴史が刻まれている。
食は、そこへ住む人々の、すべての自然な基本のことに、
気づかせてもらったのです。
今ではスローフード協会の会員として、
千葉県、房総地域での食文化について、
鴨川市教育委員会主催の「小学校食育講演会」や、
日本一の道の駅、枇杷倶楽部茶論にて
「スローフードについて」の講話、
広域観光圏観光振興フォーラムのパネラーなどで
講師をするまでになったほどです。
また
千葉県「健康ちば協力店」推進協議会にも登録させていただいており
千葉県安房健康福祉センター地域保健福祉課 から
「千葉エコ農産物取り扱い店の推薦状」
もいただいています。
また毎日の食事を食べる。ということはお客様にとって、自分の体の健康を築き上げる
基本であると思います。
そして、私達の提供する
「安全で安心な素材を使いお客様の健康な体を作ること」
これが私達のミッションであるということを、肝に銘じて仕事をしてきました。
そのかいあって、あなたのレストランだったら信頼できるから、
私達の造る有機野菜農園すべて使ってください。
と、「今では、完全有機農園の高橋さんより年間いつでも好きなだけ有機野菜の
ご提供を頂くことにもなりました。」
創業以来、23年間を過ごして、やっとこのような料理の基本の仕事が、
出来るようになるようになれました。
これからも頑張って、色々なことを学び続けて活きたいと願っています。
ありがとうございます。
千葉県鴨川のイタリアンレストラン キッズ 高梨陽市